7/10/2014

片乳授乳事情

出産後まもなく、分娩台の上で始めておっぱいをあげた。
乳首が痛過ぎておののいた。

まだ十分に出ない母乳を必死で吸われ、
それに耐えられない乳首が痛過ぎる。
飛び上がるほどの痛みで、
だんだん授乳時間が憂鬱になった。
それでも、歯を食いしばって気合いであげてたら、
仕舞いに乳首が切れて出血した。
処方された薬を塗って、ラップで保湿。

痛過ぎ。

でも、そんなの知ったこっちゃない我が子は、
お腹を空かせて泣くので、
早々にミルクに手を出した。
そもそも、片乳授乳だから追いつかないんだけど。

左のおっぱいは全くノータッチ。
外科の先生は授乳可能と言ったけど、
傷口付近は皮膚が引っ張られ固くなってるし、
放射線も少し気になるしで、右だけの授乳にした。

早いものでもうすぐ、生後2ヶ月。
前より母乳量が増えてきた気がするんだけど、
ミルクをあげると途端にゴクゴク飲むもんだから、
母さんちょっとさみしい。

でも、片方だけでも授乳できます。
量は足りないから、ミルクは必須だけどね。





5/24/2014

我が子


5月13日朝、元気な女の子を無事に出産しました。

途中、胎児が低体重気味で入院となったけれど、
その後V字回復をみせ、
予定日を3日超えて、2,760gという一安心なサイズで生まれてきてくれました。

出産の2日前の夜中から、
前駆陣痛という不規則な間隔で襲ってくるプレ陣痛が始まった。
果たしてこれが陣痛ってやつなのか?
なかなかに痛いけど、我慢できなくもない、
でも波のように繰り返しやってくる。

翌日、病院に電話するも「もうしばらく様子を見ましょうか。」と。
痛みをこらえつつも、痛みが来る時間を計り、
来日した相方さんと近所を散歩したりと余裕があった。

翌々日の早朝、いよいよ痛みが10分間隔を切るようになり、
言葉を発せないくらいの痛さとなり、たまらず病院へ電話。
とりあえず外来で診ましょうとのことで病院へ。

この時点で子宮口は2cm開いており、そのまま入院。
本格的な陣痛の幕開け。
ここから壮絶24時間の陣痛が始まった。

想像をはるかに超えた痛さ。
ただただ、痛みが逃げていくのを必死で耐え、
痛みを増してやって来る次の波を静かに待つ。

まだまだ子宮口は2cmのまま。
痛みの感覚は10分を超えたり縮まったりの繰り返し。
入浴指示が出てお風呂へ入ったり、
分娩室が並ぶ病棟を歩き回ったりして陣痛を促す。
勿論、その間も痛みは繰り返し襲ってくる。

誰かの叫び声が分娩室から漏れ聞こえる。
ううう…すごい…。
私もそうなるの?と怖じけづく。

お昼を過ぎ、ようやく午後になり、やっと夜が来る。
とても長い長い夜。
時計を見ても、まだ2時、3時、4時…
一体いつまで続くの?
いつ終わりが来るの?
もう耐えられない。
相方さんにしがみついて泣く。
陣痛の度に、寝ずに腰や背中をさすってくれ、
私の吐く暴言に耐えてくれた。

6時を過ぎた頃、いよいよ陣痛が3分程の間隔になり、
凄まじい痛みに体が震えだした。
でも子宮口4cmと言われると、ようやくここまで来た!と嬉しく思った。

分娩台に必死でよじ登ると、

体が焼けるような痛さと共に、
赤ちゃんの頭が出てきそうな感覚に襲われる。

叫び狂う。

一気に子宮口全開となり、
ここからはもう筆舌に尽くし難い壮絶なラスト。

そして、本当に自分の体から赤ちゃんが生まれた。
言葉にならない感覚。
横を見ると相方さんが涙していた。
弱々しくもしっかり聞こえる赤ちゃんの泣き声。
ああ、やっと終わった…。

しばらくして、助産師さんが「我が子だよ〜」と言いながら、
赤ちゃんを胸元に抱かせてくれた。

我が子。
初めて込み上げてくる何とも言えない感情に包まれる。

「我が子」かぁ。



我が子


4/10/2014

子宮内胎児発育不全で入院

マレーシア航空機の消息不明ニュースで、
ますます飛行機恐怖症に拍車がかかったけど、
妊婦のため安定剤を飲むのをぐっと堪え、毎度のように手に汗を握って搭乗。
加えて、33週での国際線フライトは最前列でもさすがにしんどかった。

32週の健診で胎児が1400g程で小さめらしく、
里帰りの病院でよく診てもらうように言われていた。
そして、帰国後の初診でやはり小さいと言われ、
数回診察するも成長が緩やかなため、35週に入って入院となった。

入院しても特に治療はなく、気休めに糖分点滴栄養補給と
1日3回のノンストレステスト(NST)という胎児モニターで
胎児の心拍や動き、母体腹部の張りをモニタリングしている。
それ以外は出来るだけ安静にということで、売店にも行けない。

先生や看護師さんも優しく、食事も美味しく、
病院も綺麗で恐縮しつつ、
妊婦らしく編み物なんぞしながら、食っちゃ寝の日々…。
妊娠前より8kg太り、今なお増量中…。
少しでも赤ちゃんに栄養が届きますように。

36週でたとえ緩やかでも成長がみられ、
2000gを越えてくれば、一旦退院しましょうかと。
成長がなさそうなら、胎児が元気なうちに早めに出しましょうとな!

2/28/2014

8ヶ月妊婦健診

1ヶ月ぶりの健診は、家から駅までゆっくりウォーキングなんぞしていたら、
20分程遅刻してしまった。
もはや時間に正確な日本人ではない。
病院の最寄り駅で相方さんにピックアップしてもらい、一緒に病院へ。

久しぶりのエコー。
前回は右腕が確認できなかったので、ドクターも必死に探してくれる。
お腹の上で機械をグリグリ動かして刺激を与えても、なかなか見せてはくれない。
やっと、どうにか右腕と右手らしきものを捉えて一安心。

心拍や血流も問題無かったのだけど、寝ているのか殆ど微動だにせず。
ドクターも「Hey, why so quiet?」とこぼす。
寝ているらしい。
私は細かい性格だから、
この調子で、相方さんに似た大らかな子になってくれるといいなあ。

エコーは、毎回15分くらい時間をかけて、丁寧にチェックしてくれる。
途中早口で臓器の名前らしき事をつぶやかれるけど、殆ど理解できていない。
とりあえず、問題無さそうってことは分かるのだけど。

胎児の体重は1kgほどらしい。
最近は妊婦らしくお腹が丸々としてきて重く、動きも鈍くなってきた。
でも先日、3人子持ちの昔の同僚から、8ヶ月にしては小っさいなーと言われた。
これからもっと大きくなるのかな。

出産は、散々迷った挙句、検討した結果、日本ですることになった。
来月、フライト搭乗前に最後の健診を受けて、診断書をもらう手筈。


2/18/2014

DIY フォトフレーム

今年の旧正月は義家族と過ごした。
旧正月イブ、いわゆる大晦日の夕食を家族と共にするのが、一番大切な行事らしい。

結婚後初めての昨年の旧正月は、
日本で放射線治療中だったので、今年が初めて義家族と過ごすお正月となった。

イブの夕食は中華レストランでお正月恒例の物たちを食べて、
翌日はお義母さん手作りの菜食料理を食べた。
いわゆる元旦はベジタリアンになるそうだ。

今年は私の参加と、相方さんの弟が彼女を連れてきていたので、
お義母さんは、なんとなく嬉しそうだった。

お義父さんを早くに亡くした相方さん実家は、
義妹と相方さんが結婚後、お義母さんと義弟の2人暮らしだったのだけど、
最近、義弟は上記の彼女と家を借りて住みだしたので、
今は、お義母さん一人でいることが多い。

そんなお義母さんの家のリビングには、いくつかの写真が飾ってある。
相方さんの大学卒業式のやら、義妹の結婚式のやら。

そういえば、私達の結婚式の写真はデータで渡してあったけど、
きちんとプリントアウトした形で差し上げてなかったなあと思い出し、
数枚フレームに入れて渡すことになった。

そこで、パッタリ冷めていたDIY熱が再燃。
フォトフレームを作ることに。

余りのベニヤ板とオイルステインを使って、
思いつくまま作ってみた。





ベニヤ板をくり抜いて、周囲を木枠で固定
表面はクリアシートを使用


木枠は木工用ボンドで接着


お見苦しい背面
悩んだ挙句、留め具は釘となった




写真は普通サイズが4枚入る

うーむ。
良からず悪からず。

1/16/2014

術後1年3ヶ月健診と妊婦健診

姉家族来訪で、調子に乗って歩き回っていたら、
元旦の夜中に出血した。

出血は少量だったけど、初めての事だったので少々慌てた。
出産経験のある姉が、すぐに病院に行けというので、
相方さんの運転で救急外来に行った。

宿直の内科医風の医者に事情を説明すると、
女性看護士から下着をチェックされ、出血確認がなされた。
出血は少量で既に止まっていたので、
安静にして、翌日も出血したら担当医に連絡しなさい、と言われた。
夜中3時を過ぎていたので、病院に行っただけですごく疲れた。

その後何の症状も無かったので、
姉家族との旅の行程は休み休み続行した。

そして約1ヶ月ぶりの妊婦健診。
妊娠22週目。

丹念にエコーで胎児の各臓器をチェック。
問題無しとのことだったけど、
ひとつだけ、胎児の右腕が映らず確認できなかった。
先生も「カモン ライトハンド」とか言って探していた。
胎児の位置が今回たまたま悪かっただけであって欲しい。

そして先日の出血原因を診るために、初めて下からの内診を受けた。
出血原因の所見はないものの、
子宮口あたりの粘膜を採取して、感染症などの異常がないか検査するらしい。
次回健診は来月半ば。

一度、処方箋(ビタミン剤など)と会計を済ませ、次は乳腺外科へ。
マレーシアの私立総合病院は、
各開業医が集まっている仕組みなので、面倒だけど会計が別。

3ヶ月ぶりの乳腺外科。
どこだったっけ、と軽く迷う。
予約時間を30分ほど過ぎて呼ばれる。
久々のドクターは相変わらず素敵。
さっきの中華系産婦人科医の英語と比べると、
綺麗で分かり易く話してくれるから、更に素敵に見える。

エコー中は、モニターを凝視して、ただただ祈り続ける。
何も映りませんように。

今回も無事にパスすることができた。
何とも言えない安堵感が一気に広がる。

出産方法について迷っていることを伝え、
麻酔や陣痛促進剤などが、癌細胞に及ぼす影響を尋ねた。
同様の質問を産婦人科医にも尋ねたけど、
両者とも、それらはホルモン剤じゃないから、
自然分娩でも無痛でも帝王切開でも、何も心配ないと言われた。

そして授乳について尋ねると、
術側乳房からでも授乳可能とのこと。

おやおや

確か、日本の医者には、健側からしか授乳は出来ないと言われたし、
放射線医には、術側からは母乳はもう出ないと言われたんだけどな。
まあ、出産後どうなるもんか期待しよう。

さて、どうやって産もうかな。

1/10/2014

姉家族の来訪

あっという間に新年も10日が過ぎようとしているけれど、
新年おめでとうございます。

年末年始は、姉家族がマレーシアを来訪した。
あちこち出掛けて、色んなものを食べて、
それぞれ途中体調を崩し、病院のお世話にもなったりしたけど、
おかげで楽しい時間を過ごすことが出来た。

5歳の姪を中心に行動してたけど、子供がいるとその場が明るくなる。
時々振り回されては疲れることもあるけど、
帰国して居なくなると、グンと静かになってしまった。
相方さんと生まれてくる子供との生活を少し想像することができた。

今回は写真多め。


リッツカールトンでアフタヌーンティーを嗜んでみる


カフェでブランチなぞ



点心は外せないのです



姉のリクエストでモロッコ料理 
タジン鍋料理は最高 でもクスクスはもうきっと頼まない


ビーチでは天気に恵まれ 
私は荷物番


どこに行っても探してしまう 
そして見つけてしまう


良い年になりますように。