12/08/2013

風疹抗体がない?

1ヶ月ぶりの妊婦健診は相方さんと一緒に行った。

久々に見るエコーに、ちゃんと生きていてくれて安心した。
エコーに映る我が子を初めて見て、相方さんは感動した模様。

しかし問題がひとつ。
前回の血液検査の結果、私の風疹抗体が基準値よりもかなり低いとのこと。

なんだって

昨年、風疹の予防接種を受けたばかりなんだけど。
そう言うと、ドクターも少し驚いて、理由は分からないと言う。

念のため、もう一度風疹抗体を調べる血液検査をすることになった。
既に妊娠しているから、今から予防接種はもうできない。
検査結果の数値に変化が無ければ、今後風疹に罹らないように気を付け、
出産後に予防接種を受けること。
逆に数値が大幅に増えていたりしたら、
既に風疹に罹患した可能性がある、とのこと。

なんてこった。おそろしい。
風疹は症状に気付かない場合もあるらしいし。

日本で風疹が流行しているニュースや、
妊娠中に風疹に罹れば、母子感染や障害を伴う可能性も知っていたので、
そうならないように、昨年予防接種を受けたはずだったのに。
自分が予防接種済みだから、相方は不要と思ってたのにな。
予防接種後に、きちんと抗体が出来たかどうか調べないといけなかった
予防接種を受けたら、数年は大丈夫だって思うよね、普通…。

調べてみたら、
たとえ予防接種を受けても、数パーセントの人は、
何度予防接種を受けても抗体が付かない体質の人がいるらしく。
要するに、自分で予防するしか手がない、とな。

まいったな。
数値の低さから、私はその体質の気がありそうだな。

ドクターは、この事実を知らないってことか。
んー、このくらいの情報は産婦人科医として得ていて欲しいものだ。
今度教えてあげようかな。

全くどうしようもないので、
人混みを避けるなり、マスクするなり、
手洗いうがいをするなりで自衛するしかないか。
あーショック。気をつけなければ。相方さんも抗体があるか調べてもらおう。

11/26/2013

知人の死

所属しているメーリングリストから、お悔やみの連絡が届いた。

私が慣れない海外暮らしを始めて間もない頃、
古紙をアレンジして作られた綺麗で古風な封筒が届いた。

当時はまだお会いしたことがなかった仲だったのに、
慣れない海外生活を労わるお便りと共に、
ちょっとしたおまけのような、お茶漬けやふりかけ等が12つ同封されていた。
ちょうど日本が恋しくなっていた時期に、とてもあったかい気持ちになった。

帰国後、彼女と初めてお会いした時にその手紙のお礼を伝えた。
初対面でも緊張せずに話せる人で、飾らない屈託の無い顔で笑ってくれた。

その後、何かしらの集まりで数回顔を合わせることがあった。
いつも穏やかに笑っていて、皆から親しまれ、場を和ませていたなあ。

彼女は生前、新聞のお悔やみ広告を自ら準備しており、
亡くなった翌日に掲載されたそうだ。

それによると、昨年9月に子宮がん(ステージ)が見つかり、
11月に入院手術をしたとのこと。
しかし、今年6月に再発、転移してしまったこと、
近くに親戚がいないため葬儀は行わず、香典や弔電、供花等を遠慮すること、
そして、お世話になった病院に献体をする旨が記されていた。
最後に、楽しくお付き合いいただき感謝していると結ばれていた。

病気療養について、一部の人以外には告げていなかったそうだ。
私と同時期に入院していたなんて、お互い知る由もなかった。

ほんの数回しかお会いしたことはなかったけれど、
彼女がどんな女性だったのか、どんな人生だったのか、考えずにはいられない。
プライベートな事は何一つ知らないけど、きっとまだ40代でお若い方だったはず。
なんて強くて、潔い、生き方なんだろう。

彼女の遺志を尊重し、来月メンバーで質素にお別れ会をするそうだ。
心よりご冥福を祈る。
彼女の笑顔を思い出す。

11/14/2013

出生前診断

出生前診断を受けた。

初診時に検査内容の冊子を渡され、
検査を受けるかどうか、次回までに決めてくるように言われた。

ドクターの説明と冊子によると、
母親の年齢が高いと、胎児の染色体異常は高リスクになるが、
統計的に出産数の大半を占めるのは若い母親なので、
必然的に染色体異常が検出されるのも、実際若い母親に多い。
そのため、母親の年齢に関係なく検査を受けることができる、とのこと。

検査は11~13週に行われる。
私は12週目に受けた。

エコーで胎児の首のむくみの計測(NT: Nuchal Translucency)、
鼻骨の有無、右心臓弁の血流、肝臓の血流を調べる超音波検査と、
母親の血液から2種類のホルモン値(β-hCG and PAPP-A)を調べる母体血清検査の
2つを組み合わせることで、リスク確立を検出するというもの。

この組み合わせの検査で、約90%の検出ができること、
あくまでスクリーニングなので、高リスクまたは低リスクでも絶対ではないこと、
判断は個人の自由であることが説明された。

日本のトリプルマーカーやクアトロテストという血液検査とは、
検査時期も検査内容も、
そしてリスク検出率にも大きく違いがある異なる検査のようです。
私の受けた、このNT+母体血清(β-hCG and PAPP-A)による検査は、
現在日本でもおこなわれているのかは不明です。

エコーは時間をかけて丁寧におこなわれ、どの項目も正常値だった。
血液検査の結果は1週間後。
低リスクの場合はドクターからSMS(携帯メッセージ)が来るらしく、
高リスクの場合は電話がかかってくるそうだ。
SMSで結果報告なんて、日本ではきっと無さそうだなあ。

費用は日本円で2万円弱だった。
ただし、再診料と通常おこなうエコーや
貧血チェックなどの簡単な血液検査も含まれるので、
出生前診断のみの実質費用は約1万円ほどかと思われる。

そして1週間後、ドクターからSMSが届いた。
数値結果と共に、LOW RISKの文字。
メッセージを読んだ瞬間、正直安堵した。

これら検査に対する意見は、人によって賛否両論様々だけど、
実際自分の身に降りかかり、いざ当事者とならないと、
なかなか本心は出てこないのじゃないかと思う。

10/30/2013

若年性乳がんと妊娠

前回の術後1年健診で、CTを見送ったのには訳がある。

妊娠したのです。
乳がんになってから、妊娠が難しくなる可能性もあって、
治療前に、慌てて婦人科で受精卵凍結の説明を受けたりした。

ありがたいことに、抗がん剤の投与は無くなり、
ホルモン治療も子供を希望している意思を尊重してもらって、無治療でOKが出た。

放射線の心配もあるから、
当初は術後1年は避妊するよう、こっちのドクターには言われてたけど、
(日本の先生はすぐ妊娠しても問題無いと言っていた)
結果、放射線治療後半年が経つ頃、「そろそろいいかもね」とOKが出た。

そして、妊娠することができました。
そろそろ4ヶ月になるところ。

若年性乳がん患者の場合、
妊娠出産の機会と向き合わないといけない場合が多いと思う。
抗がん剤の影響で生理が止まってしまったり、回復までに時間を要したり、
ホルモン治療の5年間が果てしなく長く感じるし、やっぱり子供が欲しいから、
再発の可能性と天秤にかけてでも途中で投与を中止したり。

私は両方の治療を受けなかったから、
想像上でしかその辛さを計り知るしかない。
でも、私自身もホルモン治療を薦められ、
5年間は子供を諦めるかもしれなかったわけで、
自分なりに勉強して、再発の危険性と天秤にかけて出した答えが無治療だったから、
同世代の乳がん患者の気持ちは理解できる。

ただ私のケース(温存と放射線のみ)では、こうして今妊娠することができました。
私は放射線治療終了後、半年間は避妊をし、
先生の了解を得て、その翌月に妊娠しました。
私と類似した治療歴やリスクで、妊娠を希望している方がいるかもしれないけど、
妊娠してよいかどうかの最終判断は、
必ず再発リスクを考慮して主治医と相談してください。

妊娠中も、勿論定期健診は続行される。
ホルモン受容体が強陽性なので、妊娠による影響はゼロではないそうだから、
余計に慎重に、とのこと。

妊婦健診は、乳腺外科と同じ総合病院内のドクターに診てもらっている。
同じ病院内なので、電子カルテを共有出来て、ドクター同士も知り合いなのでそこにした。

産婦人科医は、中華系の男性医師。見るからに賢そうなおじさん。
これまでに2回受診したけど、
乳がんの既往については既に把握されていたし、
少々早口で聞き逃しそうになるけど、説明も簡潔で分かりやすい。

前回の一時帰国時に初診を受けた、日本の産婦人科医より断然良い。
小声で何を言ってるかよく分からなかったし、
聞かないと何も教えてくれないし、
聞かれた事と言えば、「ご主人の職業は何?」であった。
「会社員です」と答えたら、「職種は?」とたたみかける。
素直に答えたら、「それはなかなかいいですね」だと。

帰って母親に伝えたら、
「それが妊娠と何の関係があるんですか」って言ってやればよかったのに、と。
本当にそうだ。
変な医者で印象がかなり悪い。

10/10/2013

祖母とのお別れ

話は前後するけれど、
6月に、20年生きた愛猫と別れたばかりだというのに、
その約2ヵ月後の8月末、祖母とお別れをすることになった。

猫ごときで、と言われようが関係なく、
6月に一時帰国して愛猫とお別れをしたとき、
祖母はまだ元気な姿を見せてくれていた。
愛猫を撫でて「ありがとうね」って言っていた。

心臓の機能が落ちていて、入退院を繰り返していたけど、
減塩の食生活に気をつけて、
無理せず暮らしていれば、まだまだ元気だと思ってた。
祖母は一人暮らしだったので、近くに住む叔父叔母がよく様子を見てくれたり、
両親も時々顔を見せに行ったり、
私も帰国する度に必ず遊びに行っては、おばあちゃんと他愛のない話をした。

好き嫌いが激しくて、肉食で、病院の食事は殆ど食べず、
長年、嫁姑問題で超犬猿の仲だった母親はお見舞いの度に辟易していた。
お互い歳を取って、だんだんと丸くなってはきてたけど、
でも、本当に2人は仲が悪かったなあ。

夜中に電話があって、翌日の乗り継ぎ便で急遽帰国。
夜中の電話ってのは心臓に悪い。
お通夜にも間に合わず、もちろん生きた顔には会えなかったけど、
最期にお別れが出来た。
綺麗にお化粧されて素敵な着物姿だった。

遠くに住んでると、こういう時が一番堪える。
精神的にも体力的にも経済的にも時間も。
加えて飛行機嫌いは、更に神経が削られる。
マレーシアはまだ近いけどそう思うのに、
欧米や南米、アフリカなどに住んでる人はもっともっと堪えるだろうな。

お葬式は勿論悲しいのだけど、
87歳という長寿だったから、なんとなく穏やかに事が進んだ。
「もう十分。早く死にたい。早くお父さんのところに行きたい」
晩年は、事ある毎によくそう言ってたなあ。

もっと色々教えてもらいたかったな。
今頃、庭の柿の木に実が生っているんだろうな。
干し柿の作り方教えてもらってたら良かったな。

おばあちゃん、長い間お疲れ様でした。
今まで本当にどうもありがとう。
無事におじいちゃんに会えたかなあ。

10/03/2013

術後1年健診

しばらく放置プレイだったブログ。
我ながら続かないなぁ…。

術後1年健診に行ってきた。
昨年11月末が手術だったから、正確には10ヵ月後くらいなんだけど。
どんどん前倒しになってる気がするけど。
まあいいけど。

特に何も指示は無かったんだけど、
血液検査だし、朝食を摂っていいのか空腹を抱えて迷った挙句、
絶食で臨んでみた。

やはり、それで正解。
こういう事、ちゃんと事前に伝えといてくんないかな。
じゃないと、絶対食べていく人いるでしょ。
ほんとこういうのってマレーシアらしいなー。
私が聞き逃したのかなー。
いいや、絶対聞いてないし。

検査内容は、血液検査と腹部超音波、
その結果を持って、今度は主治医の下で胸部の触診と超音波。
CTは今回は見送り。

血液検査の後に、
あまりにも空腹だったもんだから、
看護士に「これから何か食べて来てもいい」って聞いたら、
「OK~」と言われる。

でも、先に腹部超音波を済ませようかと思い直して、指定の場所に行ったら、
そこの看護士に「絶食してますよね?」って確認された。

おいおいおいおい。

「ブラダーはフルですか?まだなら水をたくさん飲んで、トイレには行かないでください」
と言われて、ブラダー?????となっていると、
「あなたはコップ3杯ね」と3本の指を示される。

なるほど、膀胱(Bladder)って意味でした。
どうやら膀胱が満タンの状態じゃないと、臓器がうまいことエコーに写らないらしい。
待合室で、大人が10人くらい皆ゴクゴク水を飲んでて、
「満タンになりました?」
「まだです」「もう少しです」「あとコップ1杯」という会話が可笑しかった。

無事にエコーも終わり、トイレを済ませ、
今度こそ何か食べようかと思ったけど、やっぱり思い直して全て終わってからにする。

相変わらず綺麗な主治医と軽く近況報告をして、
結果は何も問題ないとのこと
そして、胸部の触診とエコーも異常なし

どっと安堵が広がった。

次回健診は年明け1月の予定。
どうやら、癌サバイバー1年生になれそう。

そろそろ、肉食を解禁しようかな。

7/28/2013

土鍋パン 

にあるオーブンは、上部に4口コンロが備わった古い米製GEのガスオーブン。
さすがアメリカ、作りが大雑把。


見た目は洒落てるが使いづらい

引っ越してすぐは、色々焼ける~と嬉々としてたんだけど、
いかんせん、使いづらい。

温度調節機能が適当過ぎて難しい。
摂氏じゃなくて、華氏表示なのを考慮しても、なかなか思うように焼き上がってくれない。
使い方が間違ってるのかなあ。

デカイし、一度火を入れるなら数種類一緒に焼かないと勿体無い感じだし、
何より怪しい匂いと音が発生して怖い。
悩める。

でもパンを作りたく、DIY熱も冷めたことだし、
今度はオーブンを使わずして、土鍋でパンを焼こうと目論み中。

まずは、直火だと焦げるだろうから、
考えた挙句、コンロ上に底なしセルクルを置いて火から距離を作ることにする。



コンロの上にセルクルを載せて


土鍋を置く


ベーキングシートに載せたパン生地(2次発酵後)を置く


蓋をして弱火で焼く

待つこと数分。

ガーン。

見事に焦げた。
やばい臭いがしてきた頃には、もう手遅れだった。
気を付けていたつもりだったのに、底面が激しく焦げた。

しかも、上面はまだ生焼け気味。
仕方ないので、パン生地を引っくり返して上面を下にして焼く。

そして再度悩んだ挙句、
フライパンをセルクルと土鍋の間に差し込んで、少しでも火力を和らげる作戦。


激しく焦げた底面は下に隠している
引っくり返したから、表面が平らになってしまった




う゛ーん かなり不満足
あんずとキウイのドライフルーツ入り

再度リベンジしよー。
もっと良い方法はないかなあ。

7/22/2013

DIY ラック

実はDIY熱が冷めている。

最後に作ったのは、2ヶ月前くらいか。
キャスター付きラックに、ベニヤ板を置いてみたというだけの代物。

以前テレビ台と化していたラック、
今はテレビが無いので使い道も無い。

キャスター付きというのが売りなんだろうけど、
動きが悪いので撤去。ただのラックとなった。

本当は、コーヒーテーブルのように使いたいんだけど、
丁度いいソファがまだ無いので、
部屋の隅の日当たりの良い場所で、今は植木置きと化して出番待ち。

スチール3段の平凡なラック 
キャスターの代わりにゴム足を採用


ベニヤに節目を入れて塗装後
ラック上に載せるだけ


3枚載せるつもりが失敗して2枚となった
大きな植木を買おうかな

7/06/2013

術後半年健診

一時帰国で先月の予約をキャンセルしたため、
正確には術後7ヶ月健診となる。

現在の状態は、以下のとおり。
傷口付近はまだ硬く、シコリのようなものに触れる。
全体的には、柔らかさが戻ってきた感じがある。
相変わらず、時々だけど内部に激痛が走ることがある。
放射線痕はかなり薄くなってきた。

駅から徒歩で病院へ。
ローカルなら嫌がって車で行く距離を、余裕で歩いて行く。
でも、途中の歩道はだいぶガタガタで、
おまけに車道が近く、皆ガンガン飛ばしまくってるせいで排気ガスがすごい。
まあ、歩道があるだけマシ。

待ち時間は30分ほど。
隣のソファに座ってる若い女性が、
胸部全体を黒いスカーフでカバーして、
何やらモゾモゾしたかと思うと、
ウィーンウィーンと機械音がスカーフ内部から漏れてきた。

なんなんだ?何してんだろう?
あ、もしかして、搾乳ってやつ?
いや、分かんない。でも搾乳以外に思いつかない。赤ちゃんいないし。

一定の間隔でウィーンウィーン鳴ってる。
気になる。

乳腺外科外来の待合室だから、
やっぱ乳関係よね?やっぱ搾乳か?と、ひとりで悶々とする。
この状況で質問も気が引けるし。
でも、気にしてない風にして、TVのインドドラマで気を紛らす。
何言ってるかさっぱり分からん昼ドラ的なメロドラマは、さすがボリウッド、大げさな展開。
結局、機械音の正体は分からず呼ばれる。

4ヶ月ぶりのドクターは、いつもより明るい感じ。
まぶしいオレンジ色の無地のワンピースがすごく似合ってた。
こういうのってなかなか日本人は着ないけど、素敵だなあと思った。

まず、丁寧な触診から。
「元気?痩せたんじゃないの?ちゃんと色々全部食べてるの?」
「めちゃめちゃ元気です。ベリーグットです。全部食べてますよ」と嘘を言う。
元気なのは本当だけど。

次は超音波。傷跡付近のシコリ部分でドクターの手が止まる。
シコリの上で何度も機械を動かして、モニターを確認する。
かなり焦る。

「これは傷ね、傷よ。ほらこれが傷よ。再発じゃないわ」とドクター。
私もモニターを凝視して、深部まで傷が入っているのを確かめた。
ナイフでざっくり切られたような、真っ直ぐ伸びた傷が見える。
何度も見せてくれて、安心する。
気になるシコリは、傷が治る過程で肉が硬くなっているものだそうだ。
局所再発のシコリと見分けが難しいらしい。

健側の右側も丁寧に検査。
一瞬シコリのような影が映って、慌てて尋ねると、
「これ?ニップルよ」だと。
ああ、焦った。

着替えをしていると、
「タモキシフェンは服用してないの?なぜ?」と聞かれ、
あれ?前回説明したのにな、と思いつつ、
「妊娠希望なんで、日本の先生と相談してそうなりました」と答えた。

「ああ、そうだったわね。子供が欲しいんだったわね。
そうねえ、そろそろいいと思うわよ」


なんだか前回と先生言ってることが微妙に違う。
今回、その許しをもらおうと、あれこれ言う事を考えて来たんだけど。

「前回、ドクターに最低1年は待つように言われたんですが、
体調も順調だし、再発の不安だけに囚われるのもストレスだし、
そろそろ子供を考えたいんです。私の再発リスクはそんなに高くないんでしょう?」

「そうね。でも本当ならば、術後1年の健診で血液検査とCTをして、
何もないと分かってからのほうが、精神的にも安心じゃない?
ちょっと早いけど、次回10月の健診で全身検査をしましょう。

でも、その時点でもし妊娠していたら、検査項目を変えるから大丈夫よ。
まあ、どちらになるかまだ分からないけどね」
素敵なスマイルで言われた。

ということは、どうやら妊娠のお許しが出たみたいだ。
うまいこと妊娠できるかは別問題だけど。

「妊娠で悪い影響はありますか?
逆に良い影響になったりしませんか?生理が止まるわけだから。」
ホルモン療法は、卵巣の働きを止めてホルモンの分泌を操作するのだから、
妊娠でも似たような作用が期待できると、日本の先生に言われたこと。

「確かにそういう意見もあるわね。
でも、あなたはホルモンレセプター(ER・PR)がポジティブなタイプだから、
妊娠によって何かしらの影響はあるかもしれない。
とにかく、妊娠したとしても定期的な検査を続けましょう」

ということで診察終了。
終わるとすごくほっとした。

診察後、看護士と次回予約などについて話す。
もし妊娠したら予約内容を変更するから電話をするように、とのこと。

他に色々話をしていたら、最近乳がん患者が多いそうだ。
つい最近も、20歳の女性が癌と診断されたそうだ。
あなたもちゃんと検診してるの?注意してね、と伝えて会計に行く。
看護士の彼女はまだ24歳だって。若いなあ。

術後半年健診も無事に終えることが出来た。

6/27/2013

愛猫の思い出 

学校の帰り道、隣のクラスの原さん宅にお邪魔した。
生まれた子猫たちを拝見しに。
見るだけのつもりで。
でもなぜか、小さなダンボールを抱えて帰った。

最初は別の子に惹かれたんだけど、「その子はメスだよ」と言われ、
仕方なく、「じゃあこっちの子にする」とオスの子猫に決めた。

猫が飼いたくて、何度も両親に懇願するも、
当時は社宅住まいで毛頭無理、母親も猫が嫌いとか言うし。
じゃあ、もう現物を連れて帰って、説得を試みる作戦で。

反対していた母親も、あまりの可愛さに打ちのめされたのか許しが出て、
翌日、トイレや砂や何やかやを買ってきてくれた。
その新しいトイレで、子猫は1日我慢してたオシッコをした。
「今までちゃんと我慢してたんだねえ。えらいねえ。いい子だねえ。」

脱走したり、壁をよじ登って落下して大事な牙を折ったり、
角部屋の我が家から、ベランダの手すり上を走って、
一番向こうの角部屋のお宅まで行ったり。
近所にバレバレで、持ち家計画が前倒しとなって引越した。

オスのつもりで名付けもしたのに、病院に行ったらメスだと言われ。
笑うしかない事実に、結局改名はしなかった。

やんちゃな時代は、外で色んな物を拾い咥えて持ち帰り、主人に見せる。
虫やら、小物やら、小鳥…やら。
いつしか、どこで拾ったのか大きな刷毛を引きずりながら咥えて来た。

野良猫にいじめられ、傷を作って帰ってくる内弁慶。
鳥を見てはケケケと言い、網戸に登って穴を開ける。

年と共に、猫本来の落ち着いた性格が出てきて、
ごはん時とドアを開けて欲しい時のみに甘えてくるクールな猫となった。

好きなものは、鶏肉のささみと刺身とチーズ。
嫌いなものは、人間の子供。

贅沢にも、月に1度送迎付きのシャンプーに通った。
迎えの車が到着すると、
ダッシュで逃げて、折角のお迎えを台無しにしてしまった事もあった。

帰宅が遅くなると、早くごはんを寄こせと怒る。
名前を呼ぶと、長い尻尾でバンバン返事する。
安心しきって仰向けで熟睡する。
ソファと柱で爪とぎ。
丸めた前足。
色んな姿を思い出す。

20歳。
最期は苦しい思いをさせてしまった。
悔いが残る。

20年の間、父親の単身赴任や姉の結婚、私の一人暮らしに結婚。
家族の形が変わっていったけど、実家にいつも居たのは母親と猫。
一番悲しんでいるのは、昔は猫が嫌いだった母親。

猫ごときで帰国!?と言う人もいるだろうけど、
私は、その猫ごときで急遽一時帰国した。

最後に家のお風呂で体を清めた。
シャンプーは大嫌いだったねえ。ごめんねえ。

家族と写真を広げて思い出話をする。
火葬の日まで、母親と挟んで隣で寝た。

小さな骨壷を抱えて家に戻る。
もう居ない事が信じ難い。

ドアの隙間から、白い前足が出てくる気がする。
2階で物音がすると、居るんじゃないかと思う。
階段を下りてくる気がしてくる。

この家に猫が居なかった事がないから、
慣れるまで時間がかかりそうだと、母親が言う。

大切な家族が天国へ旅立った。


エアコンの室外機(2階)の上 何を見てるの?


たくさんの思い出をありがとう
また会いたいよ

5/21/2013

DIY カラーボックスに扉

昔からシンプルが好きで、ごちゃごちゃしてるのはあんまり好きじゃない。
でも、不要な物をゴミとして地球に捨てるのも気が引ける性質なので、
不要そうな物は買わないし、まだ使える物は何とかまだ使いたいと思う。

散々、資源を使いまくって、捨てまくってきた親世代に言わせると、
要はケチということなんだけど。

そんなわけで、DIYで今度はカラーボックスに扉を付けた。

いつものハードウェアショップ(金物屋)でベニヤ板を購入。
予め採寸したサイズにカットしてもらった。
蝶番やマグネットもここで購入。
塗料はダイニングテーブルの残りで問題なし。

前回同様、やすりをかけまくって、
のっぺりとしたベニヤの表面にカッターで地味にV字に切り込みを入れて、
なんとなく板を合わせたように見せる。

薄いベニヤには、そのまま蝶番やマグネットのネジ止めができないので、
木枠を別途作って厚みを出した。


こんな具合



ほんとは上部から開く扉にしたかった
蝶番が床と接触して失敗。急遽、下部からに変更


こまかいズレは気にせず


木枠で厚みを出してネジ止め
上部の埃が気になる


下部にマグネット装着 
無くても下部から開けるから、どっちみち閉まるんだけど



まあ、素人だからこんなもんか。

5/15/2013

胸の痛み

そろそろ術後半年になろうとしているけど、左胸は未だに痛い。
触れると痛むのは勿論、何もしてなくても違和感がある。
時々、前触れもなく突き刺すような痛みが走ることがあって息を飲む。

腕も意識してストレッチしてないと、曲げ伸ばす時に引きつって痛い。
最近、こっちでようやく車の免許切替をして運転を始めたんだけど、
運転席から左手で後部座席の荷物を取ることが困難。

こんなもんなのかな。

左胸の傷跡はかなり目立たなくなってきた。
放射線跡は、まだ日焼け状態が残ってるけど、それもだいぶ薄らいできた。
ただ、気になるのは乳房の下半分が硬く張っていて、
内部に嫌な感じのゴツゴツしたしこりのようなものに触れること。

これは正常な硬さなのか、
それとも局所再発によるしこりなのか、不安が頭を占拠する。
この見極めは、触診だけでは非常に難しいものらしい。

来月の検診が怖い。
そういえば、前回のエコー中はかなりの緊張ぶりだった。
この恐怖心は検診の度に付きまとうんだろうなあ。

まいったなー。

そしてこの前、スーパーマーケットで人とすれ違った時、
左胸に相手の腕だか肘だかが不意に当たった。
激痛が走り、その場にうずくまってしまった。
あまりの激痛にしばらく動けなかった。
相手は私の反応にものすごく申し訳無さそうにしてたけど、逆に申し訳なかった。
人にぶつからないように、いつも注意してたはずだったんだけど、
私の不注意。

それにしても痛い。
生理前だからなのかな。
放射線で乳腺はダメージを受けたはずじゃないんだっけ
歩くだけでも痛いよ。

梅雨や冬の時期はシクシク痛むらしい情報を見つけたけど、
ここは毎日猛暑なんだけどなー。

5/10/2013

DIY ダイニングテーブル天板

テーブルの天板をDIYで作ることにした。
DIYと言っても、事務机の上に乗せただけ。

マレーシアにもDIYショップはあるけど、
面倒な日曜大工に興じる人は殆どいないので、木材は売ってない。
楽しいのになあ。

でもどこかにあるだろうってことで探しまくったら、
ローカル店舗の並びに、木材屋らしき店を発見。
少ない種類から、繋げてある手頃な木材を購入。
無料でカットもしてもらった。
東南アジアに多いメランチという材木らしく、日本でも家具用として使用してるようだ。

バルコニーでメガネとマスクをして、サンドペーパーで全体にやすりがけ。
これが大変。
一日中やすりがけ。

そして次は、ネットで調べてダボ打ちという方法で木材を繋げる。
繋げたい木材同士の接続位置をきちんと計測して、
そこにドリルで穴を開け、ボンドを入れてダボを半分埋める。
繋げたい反対側にも穴を開け、ボンドを入れて半分出てたダボを入れる。
位置がズレたら大変なことになります。


木工用ボンドはダイソーでゲット 
ダイソーにダボも売ってあったけど、木材屋でタダでもらった


ああ楽しい ダボはボンドを吸って膨らむらしい


接続完成 合板(同材質)だから色が違う


次は塗装。
木目を生かした落ち着いた色合いで、
ダイニングテーブルとして使えるように、水や油染みを防ぐ塗料をネットで調べる。

しかし調べたところで、こっちでそれが入手できるはずもなく、
いつも大勢の客で賑わうハードウェアショップ(金物屋)で、調べまくる。

光沢は出したくないけど、それなりのコーティングは必要ってことで、
最終的に選んだのが、油性のニス入り(少量)オイルステインというもの。
オイルステイン(色を入れる)後、別塗料でコーティングの上塗りも考えたけど、
一度で済みそうなニス入りにした。

塗装→布で拭く(ムラをなくす)→乾燥→サンドペーパー
これを2回繰り返して、最後にうっすら仕上げ塗りをして、こんな風になった。
思ったより暗くなった

材質が違うところやジョイント部分の色ムラは、
手作りによるご愛嬌ということにする。

ネットでは、ニス入りオイルステインは色加減の調整が難しいから避けるべき、
と書かれてたけど、そんなことなかった。
思ったより暗くなったのは、単に塗りすぎただけ。
1回でやめとけばよかったな。

塗料の匂いが強いので、1週間くらい風通しの良い所で放置後、
事務机に乗せた。

できあがり

次はこの昭和チックな椅子をなんとかしたい。 

3/29/2013

術後フォローアップ健診

早いもので、乳ガンと告知されて5ヶ月が経った。
一体どうなることかと、頭が真っ白になったのも、今思えばあっという間だった。
無事に手術も放射線も終了して、そしてまたここに戻ってきた。

ドクターは相変わらずな感じで、久しぶり、と笑顔で対面。
経過を話し、細胞の組織標本を返却し日本の医師からのレターを渡した。
日本の先生が「書くのに苦労したんだよーコレ」と言っていた英文レターは、
ものの数秒で読解され脇に置かれた。
ああ。
ちゃんと読んでくれたのかな。

妊娠を望むため、ホルモン治療はしたくない旨伝えると、
「それで問題ないと思う。ただ、妊娠は1年後ね」と言われた。

1!?

理由は、体やホルモンバランスが全て快復するためと、
再発リスクが高い術後1年を避けるため、とのこと。

日本の医師や放射線医からは、特に影響は無いからと既に妊娠許可が下りていた。
むしろ、早めに妊娠出産を終えて、ホルモン治療に移ろうというニュアンスだったような。

日本の医師の意見を伝えると、少々驚き顔で、それでもそれがドクターの意見だそうだ。

さあて、どうするかなーと思いながら、触診と超音波検査。
術後の傷を見て、想定内だったのか何も言及されず。
傷の周囲が広く硬くなっているため、
触るとしこりのようにも感じる恐怖と、時折激しい痛みに襲われる恐怖を訴えると、
「当然」と言われ、傷が治る経過なのだと説明を受けた。

3ヵ月毎に超音波検査、1年後にマンモグラフィと全身のCT検査をするとのこと。
そこで問題なければ、妊娠して問題ないと念押しをされた。

医師の意見の相違で混乱する。
どっちに傾聴するかな。

間を取って、術後半年を目処ってことに自分で決めてしまってもいいだろうか。

3/11/2013

(愚痴)

マレーシアに来た。

例えどこに住もうが、慣れると不満が見えるのか知らないけど、
かれこれ数年、この国に対して嫌気が差している。
この国とはなかなかに長い付き合いだと思うんだけど、
未だに日本とのギャップで心身共に疲れる。

標準を日本から外せない自分。
苦しい。

そのため機嫌が悪い。
落ち着くまでしばらくかかりそう。
果たして落ち着くんだろうか。
これを超えたら、次の段階に進めたりするんだろうか。
「そんな時期もあるさ」、なんていうところの時期なのかな。

2/16/2013

放射線治療5週目とまたまた高額療養費

25回の放射線治療が遂に終わった。
副作用は、鎖骨下~左胸全体~脇腹にかけて、強めに日焼けしたような赤みと、
それに伴う乾燥と痒みが少々出た程度だった。
倦怠感も前半は少々感じることもあったけど、それも徐々に無くなった。
こう言っちゃ語弊があるけど、私は楽勝だった。

ただ、左肺の一部に放射線が当たっているため、
3ヶ月後に放射線性肺炎を起こしていないか検査が必要とのこと。
忘れないようにしなければ。

乳腺外科では、ホルモン治療をするかどうかの意思決定を伝えた。
これまで考えてきた結果、やはり妊娠出産を先にトライすることに決め、
治療開始はその後、更に開始時期についても今後自分で決めると伝えると、
先生もその意見を尊重してくれた。

前回依頼していた、マレーシアの病院へ返却する組織標本と、
英文でのレターを揃えてもらい、これまでの感謝を述べた。
また、将来この病院でお世話になる日が来るかもしれない。
その時はまた宜しくお願いします、と頭を下げて、予定していた治療が全て終わった。
結局、この先生には術後の経過を診てもらっただけだったけど、
お世話になりました。

会計を済ませる前に、
ちょっと気になる事があって、総合相談窓口の看護師さんに確認。

実は、数年前から飛行機が尋常じゃないくらい怖くなってしまい、
恐怖で冷や汗が出て動機がするようになってきた。
一人で搭乗する時は、精神的にいっぱいいっぱいな状態になる。
以前、搭乗前に恐怖心に襲われ、空港内の診療所に行って眠剤をもらった事がある。
でも、緊張のあまり全く眠れず、しかも台風接近中で機体は大揺れで最悪だった。

恐怖心や不安を抑えてくれる薬をもらいたくて、
何科に受診したらいいのか尋ねると、どうも精神科か心療内科らしい。
でも、この病院の精神科は患者数が多く、待ち時間が半端ないのとのこと。
うーむ、他の病院に行くしかないか。
マレーシアに行く日が近づいてきて、恐怖心が出始めてきた。

会計は2ヶ月分をまとめて精算。
2ヶ月共に高額療養費の対象となった。
高額の医療費支払いが年間4ヶ月以上続く場合は、
多数該当というものになって、4ヶ月目以降は限度額が下がるはず。
でも、精算機に表示された金額は、両月とも同額の請求で??
もしかして、これも「入院」と「外来」は別勘定なのかも!?と頭によぎり、
機械清算だったので思わず支払ってしまった。

翌日、治療に関する資料や領収書を整理していた時、
もう一度、高額療養費の資料を熟読してみたら、
多数該当の場合は、「入院」も「外来」も区別があるとは言及されていないし、
しかも、こんな事が書いてあった。
4ヶ月目以降も13ヶ月目と同額が請求された場合、差額を返金いたします。」

ああ、きっとこれは事務嬢が計算ミスったんだろうなーと思って、病院へ電話。
調べてもらった結果、
「おっしゃるとおり、こちら側のミスで余分に請求してしまっています」と。

やっぱり。
確認して良かったー。損するところだった。
きっと、間違って請求されたまま、知らずにそのままの人もいるんじゃないかな。

でも、ここからがかなり面倒臭くて。
ミスしたのは病院側なのに、
病院では時間が掛かるから、区役所で返金請求申請をしてください、と。
なんですと?私がしないといけないの?

まあブーブー言っても仕方ないので、早速役所に行って手続きをしようとすると、
今度は、差額返金対象月の翌月以降しか受け付けられない、と。
なんですとー?折角、来たのに。

結局、病院で手続き出来ることになり、病院へ。
申請書に記入、捺印、当該月の領収書を提出した。
面倒臭いなーと思いながらも、
ありがたい制度であることは確かなので、我慢して黙々と手続きしましたよ。

やっぱり、会計時に??と思った時点で、領収する前に確認しといたら良かった。

2/11/2013

友人と小トリップ

神戸から遠路はるばる遊びに来てくれた友人との小旅行。

といっても、通院があるから外泊は出来なかったけどね。

ドライブしながら、夜更かししながら、久々にゆっくり語った。
神戸のように観光名所が多いわけでもなく、
病院にも付き合わせて、更には食事にも気を遣わせてしまったけど、
満喫した~!と言って帰路についた友人。

なんとも、ありがたいなあ。
こちらこそ楽しかったなあ。

訪れた日本庭園 蝋梅のつぼみ 春もすぐそこ

色んな所にドライブ 空が綺麗

ワシワシ

カフェの猫さん

 素敵な食の展示会にも行ったり

来てくれただけでありがたいのに、
神戸のパン屋さん巡りがしたいな~と漏らしていたら、
後日、神戸からパンを送ってくれた!
友人に感謝です!ありがとう!


おいしい~!!!

2/05/2013

放射線治療4週目

本当に放射線を浴びているのかと思うほど、
照射中は何も感じないんだけど、照射部は徐々に変化が起こってきた。

マーキングの内側部分が、うまいこと日焼けしたように赤くなってきた。
時折感じる痒みとヒリヒリ感以外は、たいしたことない。
薬を処方される程でもない。

先週、友人が神戸から遊びに来てくれた。
なんと、LCCのバーゲンで片道なんと990円とな!
飛行機で千円切るとは、すごい時代になったもんだなあ。

友人と遠出ドライブに行く予定で、朝一で病院へ行く準備をしてたら、
マシンが壊れて午前中の治療が不可能です、と病院から電話が。

おっと、そういうこともあるのか。マシンだからしょうがないね。
1日開いても治療に影響は無いけど、
今日は遅くまでやってるから午後にでも来てくれとのこと。
マシンが復旧した時間に、我々がどこをドライブしているかに任せることにした。

私を気遣って、友人のリクエストである温泉行きを止めようと友人は言い出したけど、
皮膚炎も無いし、腰まで浸かる程度なら問題ないっしょ、折角だし、ということで、
ちょっと遠いけど、名の知れた温泉郷までドライブ。

さすがにマーキングだらけで大浴場に入る勇気はないし、周囲にも悪いし、
貸し切りの家族風呂に入った。
源泉掛け流しで、温度も熱々のお釜風呂。
お風呂の中には丁度いい腰掛けが無く、私は縁に座って足湯程度となった。


※放射線治療中の温泉は厳禁です

病院から復旧の知らせが入り、友人が絶対行けと言うので、
結局、夕方5時過ぎに病院へ。

リニアック室は、復旧を待っていた患者で多賑わい。
部位は違えど、皆ガン患者なんだなあ、と思うと感慨深い。
技師さんも看護師さんも今日は残業だね。
お疲れ様です。

温泉行きは内緒。

2/03/2013

きなこクッキーとオートミールバナナクッキー

甘いお菓子に目がなくて、
昔はよく作ってたし、それを仕事にしてたくらいだったんだけど、
どうも砂糖は体に良くないらしくて、中でも白砂糖が。

でも、甘い物を断つってのは私にはどうも無理な様で。

そんなわけで、白砂糖よりマシらしい、
甜菜糖やメープルシロップや黒砂糖やらを使って
自分のおやつを細々作っているわけです。
(暇だから)

結局、粉物を摂りすぎてる気がしている。

そういうお菓子は茶色系ばっかりなのだなあ

口中の水分が奪われるきなこクッキー

全粒粉ピザ

とある土曜日のランチにピザを焼いた。

私は乳製品断ちをしてるため、
チーズ無しを食べるのである。


野菜たっぷり アンチョビも散らしてます


チーズの下はベーコン 私はその箇所を食べないのである


これだけの量を3人でペロリ

1/28/2013

かぼちゃパウンドケーキ

友人と共に、昨年出産したもうひとりの友人宅へお邪魔しに行った。

2人は中学が同じで、ひとりが私と同じ高校だったため3人が繋がった。
高校の頃、まともに勉強せず、アルバイトに明け暮れ、毎週末夜通し遊び呆けていた。

私の結婚がようやく決まり、日本を発つ直前に出産した彼女。
それ以来の再会で、すっかり母親の顔になっていた。
丸々としてプクプクした赤ちゃんは、とってもかわいくて、
居るだけで、周囲がほっこりして、みんなが笑顔になる。
赤ちゃんってすごいなあ。

もうひとりの友人は、なかなか子供ができないことに焦っていた。
結婚してまだ年。
親戚からのプレッシャーを感じてつらいと吐露してくれた。

私も病気の事を話した。
ひとりの友人には話してたけど、もうひとりに告白。

昔からの何でも知ってる友人たち。
隠す必要もないと思ったし。何より水臭いし。

これからも、お互い何でも躊躇なく話せる存在でありたいなあ。

お茶受けに持参したのは、かぼちゃのパウンドケーキ。
赤ちゃんも食べるかなと思って、優しめに作ったけど、
(というか私が食べられるようにだけど)
やっぱりまだちょっと早かったみたい。


卵、乳製品不使用。甘さ控えめだけど、かぼちゃの甘みでいい感じ


しっとりしてておいしかった


1/24/2013

放射線治療3週目 脳MRIと子宮ガン検診結果

左胸の青色マジックによるマーキングは、
消えそうになると描き足され、また消えそうになるとまた描き足される。

肌に青色が滲んで、打ち身したかのように青っぽくなった上、
副作用で日焼けのような赤みを帯びてきて、
肌色+青色+赤色で、何とも気持ち悪い色になりつつある。
マジックは青色と決まってんのかな。黒人さんは白なんかなー。

ある日の通院。
朝一番で、「脳足りん」検査のため造影MRIをした。
造影剤の点滴をして、ヘッドホンとヘッドギアらしきものを付けていざ筒中へ。
乳腺のMRIはうつ伏せだったから、全容が分からなかったけど、
今回は仰向けのため、どうなるかと思ったが意外に平気だった。

ガンガン、ドンドン、ゴーンゴーン、ガンガンガン。
とにかくうるさい。
途中、眠りに落ちそうにもなりつつも、やっぱりうるさい事に気付いて眠れず。
40分くらい入ってたんじゃないかな。

終わった足で、放射線を浴びにリニアック室へ。
いつもの時間に遅刻したけど、すぐに呼ばれてあっという間に終わる。
放射線って簡単だわ。内容は恐ろしいんだけど。

帰り際、看護師さんから婦人科に寄るように言われる。
え!?子宮ガン検診結果は、電話で聞くことになってたんだけど…。

表情が一瞬にして凍りつく。
脈が速くなって息苦しくなる。
恐る恐る婦人科に向かう。

そして、受付で知らされた結果は白。
なんだよー。それなら、予定通り電話でいいじゃん。
もう、こういう心臓に悪い予定外のことは勘弁して欲しい。

どっと疲れたのでお茶で一服。

続いてMRIの結果を聞きに脳外科へ。
この先生が一番好き。
放射線科の看護師さんも、この先生はとても優しいと言ってた。
患者に寄りそった発言が、医者を身近な存在と感じさせてくれてるからかな。
自然と信頼感が増すし、妙に落ち着いて話せる。

結果は、くも膜のう胞というもので、きっと生まれつきだろうとのこと。
無症状で特に悪さをするものでもないので、このまま様子見となった。
CTやらMRIやらを撮って偶然発見されない限り分からないらしく、
何千人か何百人かにひとりいるとのこと。
あららー。私って生まれつき脳足りんだんたんだーははは。

問題無くとも、ものすごく丁寧に説明をしてもらい、
脳の血管は太くて詰まりもなく、若くて綺麗だと褒められた。
先生ありがとう。また会える日まで。

最後に乳腺外科へ。
主治医は大学病院へ異動になったので、新しい先生の初めての診察。
緊張したのか診察室を間違える。

私より幾分年上の若い先生。
良く言えばゆったり落ち着いてるけど、悪く言えば高ぶった感じ。
悪い先生ではないけど、なんとなく執刀医でなくて良かった…と思った。

放射線治療の経過と今後の治療方針について話し合い。
この先生も、ホルモン治療をせずに無治療も選択肢としてある、とのこと。
妊娠中は、卵巣機能が抑制される(生理が止まる)から、
ホルモン治療をしてる時と同じような作用が起こり、
ガン再発を抑える可能性があるとのこと。
それは初耳!

だから第1子、続けて第2子と希望するのも、選択肢として有りだと。
しかし、あくまでホルモン治療が再発防止には一番有効とのデータがあってのこと。

まだ最終決断はしていないけど、それは嬉しい言葉だった。

ホルモン治療をするもしないも、今後定期的な検診が必要となる。
放射線治療が終わればマレーシアに戻るので、
そのための資料と、向こうの病院から拝借した組織標本の返却を依頼した。
必要な際は、引き続きこちらの病院でもフォローしてくれるとのことで、
ありがたかった。

長い一日だった。

1/23/2013

胡桃レーズン

パンを焼きまくっている。
どんだけ暇なんだ。

ただ、黙々と作るのはストレス発散になって良い。


胡桃の香ばしい香りが

たくさん焼いて半分は他所様へお嫁に行った

1/22/2013

アルジェリアの事件

エンジニアとして第一線の地でご活躍されていた犠牲者の方々の無念さを思うと、
胸が締め付けられる思いになる。

私が以前勤めていた組織も、世界中に事務所を構え、
中には危険で生活環境が苛酷な国や地域もあった。
お世話になった上司や同僚たちが、今も各地に駐在してる。
今回の事件は、とてもじゃないけど他人事には考えられない。

内戦が続く隣国マリに、フランスが軍事介入して空爆を開始するにあたって、
アルジェリアが自国空域の使用をフランスに認めた。

マリ北部では、イスラム武装勢力が活発に動いていたのは明らかで、
アルジェリアにも飛び火する可能性は予見できなかったんだろうか。
大使館はもっと早くに退避命令を出すことはできなかったのかな。
危険な地域であればある程、慎重になるんじゃないのかな。

人命優先か、テロ対策優先か、議論になってるけど、
長年テロと戦っているアルジェリアにとって、
テロリストの交渉を飲めば、それはテロを容認して同じ事を繰り返すのと同義。
でも、日本人の感覚では、素直に同意できないから苦しい。

アルジェリアという国の事は殆ど何も知らない。
事件後、アルジェリアに関係の深い日本人のブログなんかを読んでみると、
「アルジェリア=恐ろしい国」 「イスラム教徒=恐ろしい人たち」
こんな図式にだけはしないで欲しい、誤解しないで欲しい、と書かれていた。

アルジェリアの一般市民は私たちと同じ普通の人たちであって、
世界中にいるイスラム教徒たちも、ごく普通の人たち。

私にもイスラム教徒の友人がたくさんいるけど、
みんな平和主義で、のほほんとしてる人たちばかり。
まぁ国民性も大きく影響してるだろうけど。

「イスラム=テロリスト」なんていうイメージが、
私たち日本人には、時に先行してしまってる感もあって残念に思う事がある。
今回の事件で、そんなイメージを更に加速させてしまっただろうな。

色んな思いが駆け巡る。
本当に悲しい。

犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。
不明者の方々がどうか無事でありますように。

1/21/2013

パン・ド・カンパーニュ

食事療法とはいえ、実態は結構ゆるゆる。
玄米菜食中心ではあるけど、時には誘惑に負ける。

特にパンの誘惑に負ける。
昔からパン好きで、パン屋さんのパンも、スーパーやコンビニの袋パンも両方好き。
中でも食パンが大好きで、トーストも勿論好きだけど、
トーストせずに、何も付けずにそのまま味わうのがこれまた好きで。

でも、白い食べ物は良くないらしいというんで、
白米や白砂糖や精白小麦粉や牛乳は極力避けてて、しばらくパン抜きを実行。

だって、こんな本まであるくらい。
読んでみたら、該当するのが多すぎて妙に納得してしまった。

乳がん患者の8割は朝、パンを食べている


でもやっぱり駄目だ。
パンが食べたい。

だけど、膨張力を保つ白い強力粉様のお力を借りなければ、
全粒粉やライ麦100%で作るのはちょっと難しい。

まあでも、11食くらいパン食べても死にはしないでしょ。
我慢してる方がつらいし。

ということで、白い粉は多少使うけど、最近はパン作りまくり。
乳製品と砂糖不要のパンを。

こないだ作った、カンパーニュさん。
出来栄えは不満足だけど、なかなかおいしく家族でペロッと食べ終わった。

もっとクープが勢い良く割れたいところだ

そういえば、大昔のくだらない話をふと思い出した。
中学の時、授業中に近くの席の子たちと話した会話。

「私、昨日パン作ったんだー
すると、隣の男子が、
「は?お前パンツ食ったん?」と。

くだらねー。
よくもまあ、そんな事を脳が記憶しているもんだ。

1/17/2013

放射線治療2週目

割と近い病院だから、通院も楽かと思いきや、
さすがに毎日だと面倒臭い。

もう少し暖かい季節なら、運動がてら歩いて行くと気持ち良さそうなんだけどなー。
途中大きな公園もあるし。
しかし、いかんせん寒いんで車で。初夏あたりなら良かったのにな。

照射を始めて数回経って、胸の腫れが復活。
豊胸したかのような術後の状態から、徐々に小さくなっていって悲しかったけど、
中で浸出液が出てきてるのか、またもや腫れてきた。

照射5回目(1週目)終了後に放射線医の診察。
腫れはどうやら放射線の副作用らしい。
皮膚炎症状はまだ何もないけど、今後出てくるそうな。

それと聞き忘れたけど、照射後しばらくすると妙に眠くなる。
これも副作用?今度聞いてみよう。

成人式の3連休は治療休憩、その後2週目へ突入。
休憩中は腫れもいったん落ち着いたけど、照射開始と共に復活。
パンパンに張ってきて、左腕を上げたり伸ばしたりすると痛みが出てきた。
またしても右胸より大きくなって、嬉しいような。

入院と手術が同日で、MRIの待合室で知り合ったガン友さんに院内でバッタリ遭遇。
石川さゆり似の上品なおばさま。
病理結果で、抗ガン剤投与の選択を迫られているそう。
入院中、一緒に医療用カツラの説明を看護師より受けた時、
まさかお世話になる時が来るとは思ってもみなかったと。
それにようやく復職したばかりで、とても残念そうだったけど、
我々はガンになって肝が据わって強くなったから大丈夫だ、と話をして別れた。

1/10/2013

放射線治療1週目と高額療養費

方向音痴のせいか、迷路のような古い総合病院のせいか、
リニアック室への道順を忘れ、軽く迷子となる。

時間通りに呼ばれ、着替えを済ませて間抜けな格好となる。
消えかけた線は描き足され、
あれこれ機械が動いた後に、どうやら始まった。

そして、ただ機械だけが静かに動き、
深呼吸や息を止めることもなく、うんともすんとも変化はないまま、
5分も経たないうちにどうやら終わった。

こうして、既に2Gy(グレイ)被爆したようだ。(1Gy=1Svシーベルト)
これを25回、5週にわたり合計50Gy照射する。

マジックで線引きされた日、ちょっと調べてみてた。
部分的に、DNAが修復するのを待ちながら少量ずつ分割して照射する分には
許容範囲であり、ガン細胞を死滅に追いやるベネフィットの方を採る。
しかし、一度に4Gy~の放射線を全身に浴びると、大半が死に至るらしい。

そう考えると、50Gyという総線量が恐ろしくなった。
うまいこと効いてくれないとホント困るよね。

今週は、婦人科と脳神経外科も受診。

婦人科は、ホルモン治療を受けるにあたり、
子宮ガンのリスクも上がるそうで、念のため現状チェックということでガン検診。

婦人科の先生は、若い男性医師で、諸々つらかった。
そして、何より痛い!
出血もあって、今夜のお風呂は控えるようにとのこと。
検診には、念のためナプキン持参がいいかも。偶然持ってて助かった。
結果は2週間後。この待機時間が何より体に悪い。

脳外科は、例の「脳足りん」検査のため。
2時間は待った。人気の先生なのかな。
外来は週1のみで、あとは手術だって。やっぱり脳の手術は時間がかかるんだろうな。
気難しい感じを想像してたら、真逆で物腰が柔らかくて感じの良い先生。
やっぱりMRIをすることになった。予約は結構先までいっぱいで月末に。

この2つの受診は、先月にでもするつもりだったんだけど、
今度はもう失敗しないように、高額療養費を復習していた。

先月は、「入院」で限度額が適用されてその分支払ったけど、
「外来」は別計算なので、全て3割負担。
でも、先月の外科外来は2回のみで、いずれも数百円程度。
これに婦人科や脳外科分を加えたとしても、
到底、限度額まで届かないだろうと推測。

今月であれば、放射線科だけで「外来」の限度額を超えるだろうから、
婦人科と脳外科を加えても、限度額以上の支払いは不要となる。
脳外科は高額なMRIがある分、とても助かる。
ひと月の医療費が、限度額にすれすれ届かない中途半端な額が一番痛いからね。

更に、高額療養費が適用されて4ヶ月目以降は、限度額の上限が下がる。
ということは、私の場合、
11月は、「入院」が月をまたいで痛い目にあったけど、
そのため、11月、12月、1月といずれも限度額適用されているから、
4ヶ月目以降に当たる来月2月の医療費は、限度額の上限が下がるのかな。

いずれにせよ、世界に誇る日本の国民皆保険制度にかなり助けられている。
社会に恩返しせねば。

先日の朝刊に、高額療養費の限度額見直しの記事が。
毎月の限度額の引き下げや年間限度額の導入を検討中とのこと。
未だ財源の確保が問題だけど、これで治療を諦めずに救われる命が確実にあると思う。

1/05/2013

照射位置決定

放射線治療開始。

地階の長い廊下の奥、
ハザードマークなのか黄色斜線が描かれた廊下を越えたゾーンの一角に、
リニアック室とやらがひっそりとある。
リニアック?
(調べてみると、直線加速器(linear accelerator)という意味)

入院中、放射線治療を避けるために、全摘手術を選んだと言っていた患者さんがいた。
どうも被爆は避けたいらしかった。
その後、無事に放射線治療は免れたんだろうか。
(全摘でも、敵の顔つきによっては放射線治療の必要があるらしいから)

私にはそこまでの恐怖は特になく、先生の話も淡々と聞いた。
ただ、左乳房の乳腺機能は死滅するため、授乳はできなくなる。
残念ではあるけど、反対側の乳房で可能なので贅沢は言わない。

質問は?との問いに、
原発事故で問題になっている放射能と治療に使う放射能の違いは何か、
質問してみようかと頭に浮かんだけど、面倒臭くなってやめた。
代わり?に、温泉に入っていいかを聞いてみると、
駄目だと言われ、落ち込む。

副作用は人それぞれピンキリで、急性と晩発性があるとのこと。
皮膚炎から全身倦怠、吐き気、肺炎、肋骨骨折、果ては二次性ガンまで。
あくまで、可能性として列挙、明記してあるだけで、
実際に起こった患者を見た事が無いと先生は言っていたけど、
再発防止の治療でガンになるなんて、元も子もないな。
おそるべし放射線。

その後、お決まりの同意書にサインという段になって、
治療目的の項目に、左乳房ガンと書いてあってびっくり。
たった今その話してたってのに。
笑えない。
一瞬、慌てた先生も、冷静沈着に再発防止と訂正し、
そこでようやくサインをした。

同意書はきちんと確認しよう。

胸の照射位置を決定するため、放射能マークがある分厚い壁の部屋へ入る。
上半身裸で両手万歳という間抜けな格好で横になる。
BGMUSENで、オルゴールのヒット曲チャンネルのようなやつ。

配慮からなのか、部屋の明かりを付けたり消したりしながら、
機械と私の体の位置を定めているようだった。

途中、胸部CTを撮って、内臓の位置も確認されつつ、
医者や放射線技師が部屋を出たり入ったりしながら、
胸にテープを貼ったり、マジックで線引きしたり、忙しそう。
男性2名の前で、間抜けな格好、なかなかない経験だ。

終わって胸を見てみると、おお~すごいことになっていた。
胸に落書きされているみたいで、ちょっと笑える。

最後に優しそうな看護師さんから、諸注意の説明。
半身浴なら温泉に入っていいか、聞いてみると、
言葉を濁しながらも、この地域の温泉は比較的成分が優しいんですよ、と。
それは入っても問題ないという事かな。
全て終わったのは、1時間半後。

治療は明後日からだけど、
服に擦れて、既にマジックが消えかかってきている。
下着や服にマジックの青色が付いてるし。
普通の油性マッキーのほうが落ちないんじゃないかなー。

1/03/2013

2013 お正月

明けましておめでとうございます。

お正月はハレの日ということで、勝手に良しとして、鶏肉とお酒を少々解禁。

そんなにストイックになる必要はないのかもしれないけど、
四足歩行の動物(牛や豚や羊やら)をしばらくの間控えようと思っている。
信じる信じないは人それぞれだけど、
今まで通りの食生活では、体質は変えられっこないだろうと思っているから。

お酒の中で、一番健康そうなお酒は何かという質問に、
皆口を揃えて日本酒と言うので、熱燗をつけていただく。
久々のお酒は、五臓六腑に沁み渡って大変美味だった。
ひとりで2合軽々と飲んでしまった。

今年のおせちは私の手作り。煮しめとお雑煮は母の手作り。
私が幼い頃は母も毎年作っていたけど、
気付いたら、おせちは購入で済ませたり、旅行したりで、
手作りのおせちは久しぶり。そして家族そろってのお正月も久しぶり。


数の子を入れ忘れる

今日は神前式でお世話になった神社へ初詣。
気温が低く、相当寒かったけど、雲ひとつない日本晴でお正月らしく気持ちが良かった。

占い好きの私は、初詣に行ったらおみくじは必須。
しかし、大吉を引いた例がなく、意気込んで引いてみたら、案の定、地味に小吉。
一緒に行った姪っ子は、大吉。欲の無い幼児というのは素晴らしいのだ。

おみくじは結んできてしまったけど、
内容を忘れぬように、他所様から拝借して記しておきませう。

〈願望〉 初めにきをつけねば途中でやぶれる
〈待人〉 来る 音信あり
〈失物〉 人に問え 出る
〈旅行〉 よろし 色情慎め
〈商売〉 ねだん上下なし
〈学問〉 自己を信じ勉学せよ
〈相場〉 上がる 買え
〈争事〉 相手を見極めよ
〈恋愛〉 周囲の理解が大切
〈転居〉 よろし
〈出産〉 さわりなし 安産
〈病気〉 なおる 信神が大切
〈縁談〉 他人に頼りすぎるな

〈神の教〉
「笑う門には幸来る、ねてもさめてもにこにこと」

にが虫をかみつぶした様な顔、とがった声、
それがどれ程自分の心を暗くし、家庭をくらくし、世間をくらくする事か。
つとめてもにこにこと笑いましょう。
自分の心が明るくなり、家庭も社会も、ほがらかになる。
天の岩戸は笑いであけた。笑う門には福が来る。

病気がなおる。
これが何よりも一番嬉しい。
そう信じて治してみせようじゃないの。

神にはちゃんと見透かされてるなー。
小吉のくせに、心に響く内容だった。
結ばずに持ち帰るんだったな。

私の性格上難しい事だけど、
イライラ、ウジウジしてないで、もっと笑って過ごそう。
つとめてもにこにこと。